能登半島の奥能登、珠洲市は、私の母の故郷です。
2024年1月1日に発生した能登半島地震。その記憶はまだ新しいかもしれません。しかし、実はこの地では3年連続で地震が起きていました。2022年6月、2023年5月5日、そして2024年1月1日――。
それでもなお、能登の人々は復興へ向けて立ち上がり、懸命に歩みを進めています。その強さと優しさに心を打たれる一方で、国の支援が行き届かない現実に、やるせない気持ちにもなりました。
そんな奥能登の地を、私は2024年6月30日から7月2日にかけて訪れました。実際に足を運び、目にした風景、肌で感じた想いを、ここに記録として残します。
半島という地形ゆえに、震災後は支援が届くまで時間がかかり、道路や家屋の復旧は思うように進まず、いまだに断水が続く地域もありました。現地に立ったからこそわかる、復興途中の空気感。
それでも、今回は両親を連れて訪れることができたことが、私と妹にとって大きな喜びとなりました。
珠洲を訪れるきっかけ
今回の旅のきっかけは、東京在住の叔父からの誘いでした。
叔父は長い間、親族や故郷から距離を置き、何十年も珠洲に帰ることなく、親の墓参りすらしていなかったそうです。
そんな叔父が「一緒に行こう」と強く誘ってくれたのです。
地震の後、両親は「もう故郷はなくなった。行くこともないだろう」と思っていました。そこへ突然持ち上がった、この旅のプラン。
叔父は一足先に東京から能登へ向かい、現地集合することに。私と両親、夫、妹の5人は関西から車で出発し、金沢でレンタカーを借りて、のと里山海道を珠洲へと進みました。

叔父との再会
珠洲市に近づくにつれ、震災の爪痕が目に飛び込んできます。道路にはまだ亀裂や陥没が残り、崩れたままの家々があちこちに。
まずは珠洲市の道の駅で叔父と合流しました。私が子どもの頃に会ったきりでしたが、一目で叔父だとわかりました。父も母も懐かしい再会を喜びました。

父のほうが先に駆け寄って行く(笑)
母より父のほうが先に叔父に駆け寄って行く(笑)


能登半島の先端、狼煙へ
珠洲市に入ってからは家屋の倒壊が目立ちます。半年経っても潰れたまま手付かずの家々が、あちらこちらに。海岸沿いは地震と津波の被害が大きかったと想像できます。


私たちが向かったのは、宿のある能登半島の最先端・狼煙(のろし)。
途中、日本三大パワースポットのひとつとされる珠洲岬に立ち寄りました。寒流と暖流がぶつかるこの地は、強いエネルギーが生まれる場所と言われています。
特に『気』が一番強いとされるのは、潮風に耐え、曲がりながらも力強く立つ一本の木。珠洲の人は強いと言います。この木のように厳しい環境の中で生き抜いているんだなぁと感じました。


皆でその木の下に一人一人立ち、パワーいただいてきました♪。海岸は地震の影響で隆起していましたが、どんよりした空の下でも海の色は変わらず美しく輝いていました。


変わった叔父、帰りたかった叔父
無口で人付き合いが苦手だった叔父が、今回の旅ではまるで別人のように雄弁でした。
私たちと合流する前に、叔父は朝早くから珠洲に入り、一人で知り合いや懐かしい場所をタクシーで巡っていたそうです。さらに、ネットからダウンロードした珠洲の写真を母に送ってきたりと、意外な一面も見せてくれました。


本当はずっと、帰りたかったのかもしれません。
翌日は、いくつかの大切な場所を訪ねるミッションをこなします。

