能登半島地震から半年後、奥能登の地に実際に足を運び、目にした風景、肌で感じた想いを残す記録。2日目は珠洲市の母の生家の地と家の様子を確認し、先祖のお墓を訪れることが大きな目的でした。
2日目の朝、私たち家族に次女が合流。彼女は能登地震直後、看護師として珠洲市で緊急災害医療支援に携わっていました。まさか祖母の故郷で、孫が災害支援。さらに震災を通じて、思いもよらぬ縁のつながりを感じる旅となりました。
ミッション 1──母の実家を探す
今回の旅で最も重要なミッションは、母の実家の確認。地震後、伯父家族が暮らしていた家はどうなっているのか、津波の影響はなかったのか。
私たちが持っていたのは「そこには伯父夫婦と娘家族が家を建て替えて住んでおり、地震の後、そこには誰もいない。」という不確かな情報。不安と期待が入り混じる中、情報を求めて市役所へ向かいました。
ところが、プライバシーの関係で、親族であっても現在の居場所も生死も教えてもらえず…。
何かの役に立つかも、と東京から戸籍謄本を持参していた叔父も、問い合わせに苦戦しました。(※しかし、その後の偶然が重なり、伯父家族が無事であることが判明。)
グルーグルマップ上で通行可能な道を教えてもらい、母が育った地、日本海側の海沿いへ。
途中、通れない道を迂回し、でこぼこの道、ひび割れた道を、遊園地のアトラクションに乗っているかのようにバウンドしながら慎重に進みました。

ついに海が見えた瞬間──「やっと戻って来れた!」懐かしい♪

しかし、喜びも束の間、目の前に広がるのは壊れた家々と変わり果てた風景。隆起した海岸。複雑な気持ちになりながら、家の方向へ向かいました。

そしてついに、母の実家があった場所へ到着。目の前が海、裏が山、という立地なので、私が想像していたのは、

津波か、土砂崩れの影響で家がなくなっているかもしれない。
でも、母は、震災後もよく口にしていました。



大きな波が来ても海岸の岩が守ってくれるから、あそこは大丈夫。津波もきっと。
実際、家は、そこにありました!
その土地で育った母の言葉の重みを感じました。自然は脅威でもあるけど、守ってくれる。
多少の被害はあるものの、家は存在し、伯父家族が建て替えて、母が生まれ育った家ではないものの、昔訪れた時と同じ風景を見られて安堵しました。
ただ情報通り、伯父家族はいませんでした。そして家の前の海岸は隆起によって岩が剥き出しになり、様子が大きく変わっていました。
可笑しかったのは、今では観光名所となった「ゴジラ岩」。実際に見るのは初めてでしたが、意外と小さい!
「昔は名前なんてなかったよね。」と苦笑いしつつ、海岸風景は変わってしまったけど、それも自然の姿。その姿も美しいな、と思いました。


ミッション 2──お墓参り
母の実家を確認した後、次の目的地はご先祖様が眠るお墓。家から少し海岸沿いを歩き、山に入ったところにあるはずですが…
「お墓、どこ??」


草木が生い茂る中、父の記憶を頼りに探しながら、皆で草を刈りつつ登る。
そして──ついに発見!
しかし、墓石は落ちていました。やはり震災の影響が…。
元に戻すことはできないけれど、皆で周囲を掃除し、草木を切り開いて、お墓から海が見えるようにしました。


両親がずっと気にしていたことが「叶えられてよかった」。
「お墓参りに一度も来たことがない」と告白した叔父に、母はびっくり(笑) しかし、その叔父が一番熱心に掃除をしていました。


ご先祖様もきっと、喜んでくれているはずです。父が一生懸命手を合わせていました。
奥能登までの道は少しずつ復旧しています。「ぜひ、もっと多くの人に足を運んでほしい。」そんな思いを胸に、その場を後にしました。

